占いと日本人

るーなん日記

やっほー、ルナ姐だよ。

この間、知り合いの関係でキリスト教の教会でミサに参加してきた。
あたし自身は自然の全てに神が宿ると思っている無宗教な人。

キリスト教、というか、アブラハムの宗教(崇める神様や経典が同じである、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つ)は、唯一絶対神しか崇めちゃいけないことになっている。

ミサでは、ひっきりなしに「神様に全てをお預けします」「神の思し召すままに」的な文言が、聖書朗読だったり聖歌だったりで繰り返される。

たった一人、全知全能にて絶対な存在があって、その存在の言いつけを守っていれば神の国に行くことができる…色々と迷わなくて済んで(実際はそうでもないだろうけど)、一つ絶対ソレを信じていれば揺らがずに済むんだから、心強い宗教だと思った。

ちなみにあたしは無宗教だ。大事なことなので2度言った。

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一方、日本人の大部分の宗教観って、「無宗教」だったりする。

2007〜2008年のギャラップによる調査(古いのしか見つからなかった…)では、日本人の73%が「宗教は重要ではない」と答えたんだって。
ちなみに、中国は回答がないけれど、国策的に理論値は100%なんだろうと思う(実際はそうではないだろうけど)。
そして、国教としてイスラム教を定めているエジプトでは、宗教に関心がない人なんて0%であった。

「無宗教」と「無神論」は違うらしい。

無神論は、「神のような超越した存在なんて居ないよ」という主張をする人達だ。

無宗教ってのは、「宗教団体の枠組みに入ってはいないけど、神仏の存在は否定していない」人達。
まああれだ、結婚式はキリスト教式にやって、お葬式は仏教式でやって、でも神社に行けばパンパンと柏手を打ってお参りしちゃう私達だ。

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無宗教の人達は、実は「唯一絶対の、その存在さえ信じていれば気持ちが揺るがない」というものを持っていない。

神社などの既存施設でお参りして加護を願ったりすることもあるだろうけど、基本的には現世の問題はイマココを生きている自分が引き取る。

なんでも自分が解決しなきゃならない、というのは、結構過酷なものだ。
「自己責任論」というやつ。「自分の行為が結果となって困ったことになったのなら、他人に助けなんか求めないで、その責任は自分で負いなさいね」だ。

景気が悪くて職が少なかった時代に就職できなかった人とか、ブラック企業で働いていて心を病んでドロップアウトした人とか、家が貧しくて大学に行けなかった人とか、本当にどうしようもない困難を抱えている人に向かって、「お前が真面目にやらなかっただけじゃん」「お前のような奴は社会に甘えている」みたいなことを言ってしまう社会。

日本はそもそも政治があんまり国民の面倒を見るタイプの政治を目指していないみたいだから(小さな政府)、事実上個々人で憂慮する事態から逃れなくてはならない。

無ー理ー!

社会のレールから外れたら、自分の責任では復帰できない社会でもあるんだよね。
中年世代は再就職が難しかったり、慢性の病や障害を持っている人の就職先は限られていたり。

正直、「私にはわからない何かに行く末を指し示してもらえたらありがたいなあ」なんて思うこともあるよね。

でも、過去の新興宗教がやらかしてしまった迷惑行為や犯罪行為などを思うに、宗教そのものと距離を置こうというのが、我々「オウム真理教の事件」を目の当たりにした多くの日本人の思考回路。
信仰は自由だけど、宗教に入るなら熱情に駆られてではなくて、その団体がどんな団体なのかよく調べてからじゃないとね。
これ結構大変だよね。

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だからこそ、何か先行きの不安についてとか未来予測をするためにお手軽な「占い」を、日本人は好きなんだろうと思う。

全部自分で背負いこむのは大変すぎる。どうしても不確定な部分は知っていたい。
未来のことで不確定だから、万物の力を借りて占いに訪れる。

世知辛い世の中になりすぎちゃって、日本の現在って、ものすごく苦しいよね。

◇◆◇

たまには、占いで、不安を解消してみるのもいいよ。

近頃の占いは、占い自体だけでなく、カウンセリング要素があったりすることもあるので、話したいことをバーっと喋っちゃってスッキリするのもアリ。

もしよければ、定期的に占いやってますので、ぜひいらしてください☆

 

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