子供のみなさんへ 〜9月1日が近いからね〜

るーなん日記

あろはー、横浜、白楽の占い師、ながあめ るなだよ。

 

 

◇◆◇

 

今日は8月31日。明日には8月が終割って、9月1日だ。

我々大人に関しては単に8月が終わるだけなんだけど、学生のみなさんにとっては夏休みが終わる重要な日になる。

人によっては、命に代えても行きたくない学校に無理やり引き出されていく、地獄のような日の始まりだったりするだろう。

 

 

あたしは子供の頃、学校が嫌いだった。

学校が、というよりも、集団生活が嫌いだった。すごく変な子供で、空気読めないマンだったから、とにかくいじめられてね。

いじめられ続けると、本人もひしゃげてしまって、誰かが指を一本動かしただけでいじめられるような気持ちになっちゃうんだよ。

 

あたしが子供の頃は、まあなんというか昭和だったので、子供が学校に行かないなんて絶対に許されないことだった。

不登校は不良の始まりだったので、意地でも学校には行かされた。

あたしも、行くのは当然だと思って行っていた。嫌だったけど。

 

◇◆◇

 

本当に死にたいほど嫌だったから、学校で飛び降り未遂とかやらかしたりもしてたね。

未遂なんて「構ってちゃん」扱いで、本当にあたしが辛い思いをしていることを誰も受け止めてくれなかった。問題児扱いだったんだろうね。

 

子供の頃も含めて、死んじゃいたいくらい辛かったことはたくさんあった。

実際は死ぬのは怖くて、現にこうやって生きているんだけど、明日からこの世に存在しなくていいと思うとそれにすがるしかないくらい気持ちが楽になった。

 

 

なんで死ぬのが怖いのかはわからない。

痛い思いをしたり苦しい気持ちになったりするのは嫌だ、ってのはあるよな。

でも、世の中いろんな死に方で、いろんな人が死んでいるわけで、それはなんでそんなに絶望しなくてはならないほど怖いものなんだろうか?

 

あたしが10年前に書いた文章が出てきたので、ちょっと紹介する。

大伯母が他界した時のものだ。

 

彼女がいなくなっても、世界は続いていく。
私がいなくなったとしても、世界は多分平穏無事にすぎていく。
誰にもそれは証明できない。自分がいなくなったあと世界が続くのかなんて。
世界は自分の脳の創造物かもしれないんだし。
でも、彼女も、亡くなっていったあの人もこの人も世界から消えていったけど、世の中は彼等がいた時と同じように時を刻んでいる。
多分、私が死んだあとも、私が死んだからって何かが変わるということはないのだろう。

 

そうなんだよなー。

別にあたしが今居なくなっても、悲しんでくれる人はいるだろうけど、ずーっと誰かの心に残り続けることはないだろうし、いつしかあたしなんか「歴史の砂つぶの一つ」になって消えていくんだと思う。

 

◇◆◇

 

だから、誰かのために生き続ける必要って、あんまりないんじゃないかなー、なんて、すごいこと言っちゃったりして。

 

でさ。

あたしが死んで誰が一番変化するかって言ったら、そりゃあたし自身な訳よ。

この世からはどうやら居なくなるらしい。

でも、あの世があるのかなんてこの世の人間は誰も知らない。だって、この世にいる人たちはみんな、死んだことないもん。

 

 

そしたら、あの世で何かできる、という期待はとりあえずしないほうがいい。

死んだら、この世からは居なくなるよね。何人もの人たちがこの世からいなくなり、物体として骨くらい残ってお墓に入ってるかもしれないけど、死んだ人の肉体活動精神活動は無くなるとされているのが現代科学の定説だ。

この世を終わらせたら、あたしはもう何もできなくなる…他の知らない世界がわからない以上は、そう考えるしかない。

 

◇◆◇

 

んで。

今死にたいと思っている人に、ちょっとだけ提案をしてみたい。

あたしもそれで、後悔なくなんとなく今まで生き延びている。

 

死にたいあなた、1日だけ待って。

明日、もし万が一何一つ嬉しかったり、楽しかったり、気持ち良かったりすることが無かったら、あたしにあなたの気持ちは止められない。

明日、疲れるものを全部やめて、スマホの電源も切っちゃって、お気に入りの服を着て一人で行きたいところへ行ってみよう。

 

海を見たい人は海へ。電車に乗りたい人はちょっと電車に飛び乗って、知らない終点まで行ってみる。都会に行ってみたい人は都会へ、ただし変な人に絡まれると嬉しくないので、できればお友達と行くといいのかな。

もしなんにも思いつかなかったら、3駅先のどこかの公園に、好きな曲の入った音楽プレイヤーと飲み物とお菓子を持って行って、ぼーっとベンチに座ってみる。

 

 

心を休めてみたら、あなたはどう考えるかな。

もしも「ああ、気持ちいいな」って思ったら、今度は次のことを考えよう。

 

 

学校は、絶対行かなくてはならない、というところではない。もちろん、宿題やっていかないと殺される場所でもない。

問題が解決するまでお休みをしてもいいし、ダメなら違う学校に転校してもいい。フリースクールという、学校に行けない/行かない子供が通っている場所もあるよ。

お父さんお母さんに話すことは、悪いことでもカッコつかないことでもない。大体の親は(例外もいなくはないけど)、子供が死んだら自分も死にたくなるほど子供を愛している。

学校に行きたくないことを正直に話してみるのもおすすめ。

 

今死んじゃうとね、明日なにか楽しいことが起こってもわからないわけだから、勿体無いなーと思う。

あたしは、その想いのために生きて、中年化している。

 

もし「明日に期待したい」という気持ちがミジンコほどの大きさでもあったなら、あなたのために、死ぬのは延期してほしいな。

いずれいつか、人間はどうしたって死んじゃうものなんだから。

 

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