おはようございます。
横浜・白楽から、八重森るなです。
こちらの朝はピーカンです。放射冷却で、まだキンと冷えています。
あなたのところは、どんな様子ですか?
さて、急に思い立ったので、よく聞かれる「なんで占い師になったの?」という質問に、お答えしようと思いますね。
結構みんな、私の職業をお話すると「なんでそうなったの!?」とおっしゃいます。
…まあ、そうですよね。あんまり占い師さんが友達とかって、ないですもんね。
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直接的には、こんなきっかけがありました。
ある飲み会で、手相を観られるという友人に観てもらったのですが、なにぶん飲み会の席なので、
「うん、結婚線が2本あるね!」
と言われたまま、「だから何」の部分について教えてもらう暇がなかったんですね。
今思うと、なかなか面白い友達でした。
ちょっと年上の男性なのですが、代々霊感が発達していて、親族に占いができる人が何人もいたとか。
本人も、よく晴れた日には持っている水晶玉たち(複数、かなり多いらしい)を日光浴させているとか言っていました。
まだ占いも天然石も興味がなかった、役所の職員をやっていた頃の私は、不思議な人だなあ…くらいにしか思いませんでした。
今度会ったときに結婚線の意味を聞かなくちゃなあ、と思ってしばらく立った頃、この方は朝、布団の中で、奥様の隣で静かに冷たくなっていたとのこと…。
もうお会いすることも叶わなくなったので、私はカルチャーセンターの手相教室に入りました。
ちょうどその頃趣味が欲しいと思っていたし、近所のカルチャーセンターでたまたまやっているのを見たのです。
手相の話はまたいずれ…
それが、直接的なきっかけ。
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でももっと根本的なところで、占い師になるきっかけがあったのを思い出しました。
私は、20代の半ばくらいの頃、仕事の頑張りすぎでうつ病を発症しました。
まだ青かった私は、「自分が頑張ればなんでもできる」と思い込んでいたんですね。
やったこともない、できるかどうかもわからないことを「できます!」と言って、過去の資料なんかを調べながら必死でやる。
でも、これが結構大変でした。やると言った以上できないとは言えない、という未熟さで、周りからの「あの子はできる子」という視線をプレッシャーに、とにかく頑張り続けていました。
うつ病になって、仕事を休んでいるとき。
なかなかお薬でよくならない、ならば…代替療法とか、何かないだろうか?体も頭もしんどくて、なんとかしたくてこれまた必死でした。
そのとき買ったのが、「ヒーリング・ガイドブック」。
古い話なのでタイトルは間違っているかもしれませんが、スピリチュアルなセッションやボディワークをやっているサロンがたくさん載っているムックでした。
それを、行けるところだけ虱潰しに行きまくったんです。
当時は仕事ばかりで趣味もありませんでしたし、お金持っていたんですよね…。
誤解があると思うんですが…
うつ病って、本当に動けない時期はベッドに寝たきりなのですが、ちょっとだけ良くなると、重たい気持ちと体はそのままに、ちょっとだけ動けるようになるんです。
結果、体調は良くはなりませんでしたが、この頃にタイ古式マッサージやアロママッサージ、酵素風呂、催眠療法など、色々体験することになりました。
そういうものに対する敷居の低さは、この頃に培われたんですね。
理屈さえ納得できれば(これは結構重要なのですが)何にでもチャレンジできちゃいました。
体の方は、時間はかかりましたが、考え方の修正と周りの協力で少しずつ快方に向かいました。
私の場合、現実的な対処法が一番のお薬だったみたいです。
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「人生万事塞翁が馬」と言いますが、本当に経験って全て、良い経験も悪い経験も、無駄なく未来を形作るのに役に立っているんだなあって思います。
あなたはどんな人生を送り、そしてどんなふうに今に役に立っていますか?
あったことを恨んでも仕方がないんですよね。恨むくらいなら、それを糧に今を面白くすることです。
そうじゃないと、私なんか、自業自得にしてもなんと無駄で無意味な時間を過ごしてしまったんだろう…ってなっちゃいますしね笑。
あなたの辛い時間を、もしも私にお話しいただけたら、少しでも未来に役立てるヒントを見つけられるよう、占いでお手伝いしたいと思います。
長い話を聞いてくれて、ありがとうでした。
あなたが幸せになりますように。