幸せについて考える

るーなん日記

やっほー、ルナ姐です。

ここ数日、ブログのネタが思いつかなくてめっちゃ苦しんでました。
「令和」ネタには乗り遅れちゃったし、「春が来た」ネタはいつも書いてる気がするし、占い師生活はいつもの通りだし、ニュースはピエール瀧のコカインの話とゴーンさんの再逮捕の話ばかりだし。

そうねえ…コカインねえ…違法薬物カンケーはやったことがないからなんとも言えないけど、なんどもやっちゃうところを見ると多幸感は一時的なもので、いつも渇望した状態になっているなんてあたしはイヤだねえ…いや、もっとイヤなところは多々あるけど。

ん?多幸感か…それってなんだろう?

Wikipediaによると「非常に強い幸福感や超越的満足感のこと」らしい。

うーん、そんなに脳汁大爆発させなくてもいいかな…マラソン大会で5kmの回に出走して、ゴールできたときはめっちゃ脳汁飛びまくったけど、またやろうって気が現在のところしていない…(ダメ人間)。

◇◆◇

そもそも「幸せ」ってなんなんだろう。
またWikipediaさんに頼ると「心が満ち足りていること」なのだそうだ。

日本国憲法13条によると
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び校風追求に対する国民の権利については。公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」
…とあるので、少なくとも日本人はみんな、他人に迷惑をかけない限りにおいては幸せになってもいいことになっている。

でもさー、いつも心が満たされている人ってどれくらいいるんだろうな。

ある人は大金持ちにならないと幸せじゃなくて、でもある人は持っているもので満ち足りている。
友達が少なくて寂しい人もいる。でもある人は友達よりも知的好奇心を追い求めたいと思っている。
子供がいないと絶対的に不幸だと思う人もいるし、子供ができなくても夫婦で生きていくことに納得している人もいる。

人によって色々「幸せ」の形があって、色々に「満ち足りている」部分があり、色々に「満ち足りていない」部分がある。

◇◆◇

結局、「幸せ」になるためには、「自分の幸せ」を定義しなくてはならないんだと思う。

自分は何があれば満ち足りるのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか。
自分らしくいられるときはどんな時なのか。

優先順位をつけて、自分の幸せを一つ一つ追いかけていく。
追いかけて見つけたものが、どれだけ自分を満たしてくれるか。
これでいいのか、もっと欲しいのか。

そういうことの積み重ねで、「幸せ」ってできていく。他人と同じ「幸せ」は多分無くて、オリジナルの「幸せ」を形作って育てていく。

◇◆◇

まあ、それって難しいんだけどねえ…。

あたしにとっての「今の幸せ」は何かなあ…もっと色々なことを勉強することとか、誰かの役に立つこととか、人と楽しく繋がっていることとか、ぼーっと春の花を眺めたりとか、んー、あと、10kg痩せたらちょっと幸せになれる、かな?

そんなこんなで、ゆるゆると幸せを追求していこうと思います。
皆様も、ぜひ。
 

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