あろはー、ルナ姐です。
ずっと分からなかったこと、というか、勘違いしていたことがありまして、調べたら「そうなのか!」ってなった話を書きます。
いやね、あたし、昭和後期生まれなんで、多分この言葉がメジャーになった時にもう若くなかったのもあると思うんだけどね(^^;;
「非モテ」
あたしはこの言葉、「モテ」の対義語だと思ってたのよ。
「モテる」ってのは、多数の恋愛対象な人のツボにはまって引く手数多な人のことよね。
例えばバレンタインデーに山のように本命チョコもらうような感じ。
そうしたら「非モテ」ってのは、「たくさんの人にモテるわけではない人」ってことになるじゃない?
じゃあさ、たった一人としか恋愛してなくて、その相手と結婚した人は、非モテカテゴリに入るわけじゃない?
コレを話すと、友達が「違う」って言っていたのよね。
「たった一人でもうまくいっている相手がいるならば、それは非モテではない」って。
あたしはけっしてモテる人じゃなかったはず。
常にだいたい「こちらから好きな人を追っかける」恋愛をしていた。追っかけられたことなんてほぼ無い。
でも、その状態でも「だってあんた、恋人が途切れたことがほとんどないんでしょ?それは『モテている』ことになる」って。
えええええ!?
なんか、あたしの知っている日本語と違うよそれー!
んで。
ネットの海に「非モテ」を探して行ったら、目からウロコが落ちるようなことが書いてあった。
もともと「モテ」という言葉から生まれてはいるため、誤解されやすいが、現在の用法としては「非モテ」の対義語として「モテ」が配置されている訳ではないことに注意。「モテ」は第三者による評価だが、「非モテ」は自意識の問題といえる。(「はてなキーワード」より)
そうなんだ!!!
「モテ」と「非モテ」は全く別の意味を持つ言葉なんだ!!!
「モテ」というのは、確かにあたしが考えるとおり、「多数の恋愛対象な人のツボにはまる」で正しい。
でも「非モテ」ってのはどうやら「誰かに自分のことを認めて欲しい」という気持ちのことらしい!
ちなみに、上記リンク先によると、「非モテ」っていうのは1990年代後半頃にできた言葉で、そのころはちゃんと「モテ」の対義語として使われていたらしい。
つまり、あたしのように「恋愛はいつも自分から追いかける感じ。でもだいたい彼氏が途切れたことがなかった」タイプの人は、
→ 追っかける相手には認められていると自分で納得して承認欲求が満たされていれば「非モテではない」
→ いつも追っかける立場にしかなれないとあたしが認識して承認欲求が満たされていなければ「非モテ」
と、「自分自身の想い」によって二分されてしまうということなのだ。
…ちなみに、あたし自身はそういう意味では「非モテ」ではなかった。好みでない人に追っかけられるより、好みの人を追っかけている方が性に合ったいたらしい…。
同じ事象に対して、視点が真反対にあると、認識としても真反対のものができてしまう。
んで、よく考えてみたら自分は「モテたい」のではなくて「非モテでいたくない」と思っているんだったら…承認欲求と対話してみる必要があるのかもしれない。
承認欲求をある程度満たしてやれば「非モテ」であるという寂しさとか怒りとかを多少カバーできることがある。
どこかに「仲間」を作ったり、「友達」を大事にしたり、「仕事」で頑張ってみたり…ひょっとしたら、そういうことで恋愛に対する承認欲求の偏重が解消されるかもしれない。
あと。
なんていうか、非モテ感を強く持つ人には、「どうせ自分なんて」的なオーラが見えることがある。
あたしは「零感」なので、本物のオーラは見えないけど、雰囲気でなんとなくわかる。
そういう人は「相手が無条件で自分のことを愛してくれないと嫌だ」と顔に書いてあることがある。
ひねくれて下を向いていじけてるヤツが「ありのまま」で相手に愛されることは、多分あんまり無い。
あたしにも「非モテ期」が無かったわけではない。そのころは、「こんな暗いデブ、誰も好きになってくれないのは当たり前だ」とひねくれていた。
そりゃーそうだ。そんな暗いデブ、誰も好きにならないよ。
せめて明るいデブになろうよ。
あの頃のあたしにアドバイスできるなら、そう伝えてあげたいところ。